スクールカースト

人間関係

スクールカーストはなぜ出来るのか。
自分達の時代と今とでは違うのかもしれないけれど、考えてみた。

経済的な側面が反映されるのか?
確かに、勉強のできる子はある面では尊敬される。
でも、勉強だけではない気がする。
知識や試験勉強ができるだけでは、クラスの人気という注目を集めるには至らない。
「彼(彼女)は、勉強できるよね~」で終わってします。
(私は、それでも十分素晴らしいことだと思っている)
クラスの人気者になるためには、地頭の良さも必要な気がする。
地頭の良さ、言い換えれば要領の良さなのかもしれない。

私は小学校のクラスメートが7人という、過疎地の小学校で育った。
それはそれで悩みもあったのだけれど、中学進学で3クラスもある本校に進学。スクールカーストを思い知った(笑)もともと、承認欲求はあれど、半分あきらめており、少しいじけた性格でもあったので(笑)やり過ごすことできた。逆に自己肯定感は低いのに、自分が評価されたい部分と違う部分の評価がたまらなく嫌で悩んでいた。思春期アルアルなのかもしれない。

カーストの発生は、きっと幼少期と性格の特性で出来上がっていて、大人になっても簡単にぬぐい切れない。故郷に帰ればその当時のカーストが存在している気がする。でも、故郷を離れているので、今、帰省すると変わっているかも!なんだか、久しぶりに試してみたくもある(笑)
中学、高校時代の友達に会うと、楽しいのだけれど自然に緊張している自分がいる。
かっこつけなきゃ!と思う自分が蘇ってきてしまうのだろう。
その当時から、人気者の人の今の心境も聞いてみたくなってくる。

何かの話「お金のないことをを言えることがお金もちの定義」と言っていた。
本当にお金のない子は、そんなこと言えない。ということだ。
食べていけるだけ裕福だ!という定義なのだろう。
でも、そんなことない気もしている。私は、一人暮らしの時、相当貧乏だった(笑)
胸を張って言える。食べるものに困るくらい貧乏だったけど、そのことを言うと助けてくれる人が現れることを身をもって知っていたのかもしれない(笑)明るく貧乏を楽しむ術を身に着けた(笑)
例えば、「歯磨粉買えないから塩で磨いてるんですよね~、で献血車来たからラッキー!歯磨き粉もらえる!と思って献血行ったんですけど、比重が足りなく献血できなくて(笑)ヤクルトとお菓子だけでした(笑)」というと先輩から「血を売る女」のレッテルを張られ、おごってもらったり差し入れをもらったりできました。そんな風に生き延びてきました。
大切なのは、「悲壮感を漂わせないこと」だと学習したのでした(笑)

ちょっと話はずれるかもしれないけれど
知らないことを知らないと言えること。も大切なことだと思っていて。
人より劣っている点は誰にでもあって、自分のそれも認めると人にも寛容になるし認めてもらえる。
欠点を隠そうとすると、逆に勘繰られるし、見つかった時に恥ずかしい(笑)
「私はダメなところあります。あはははは~」ぐらいのほうが好感が持てるかもしれない。
(逆にイラっと来る人もいるでしょう(笑)。確率問題です。ご了承ください。)

先日、人(男性)と話していて子供へのしつけの話になった。
(男性)「やさしさと厳しさは紙一重ですよね~。厳しく言うことが優しさでもあるし。子供のしつけもそうなんですよね~」と言っていた。やさしさと厳しさが紙一重は私も同感。その人のためをもって伝えることが本にとってみれば厳しさをはらむこともある。言わないでおくほうを選んだ方が楽だけど、あえて嫌われるのわかりつつ厳しいことを言うのは、きっと優しさをはらんでいる。
でも、子供のしつけはちょっと微妙で、今の価値観を幼少期に植え付けるのは果たしてその子のためなんだろうか?と思ってしまう。変化の激しい時代に、自分たちの世代の価値観でしつけるのは世界を変えていくうえでも足かせになりそうな気がする。
それより、一緒に考えるスタンスでもいいような気がしている。
が、正解がないのが家族、夫婦、子育て。議論は大いにあるような気がしている。

子供達には視野を広げられるような環境を用意するのが大人の役目のように思っている。
何を選択できるかを知らなかったら、一部の価値観で凝り固まってしまう。
大人は、選択できるかどうかわからないにしても、でも、選択できるよう
一緒に考え抜いて一緒に努力しようと!と子供に伝えるべき。だと思っている。

金銭的にもフランクに、今親として協力できることはここまで!と子供に伝えるべき。なんだと。
一緒に考えるスタンスは大切で、子供も自分で自分の人生を考えるきっかけになる。はず。
しかし、計画的はいうに易し、進まなく,

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