500円

人生

初めて就職したのは、地方卸売市場の総務課だった。
高校時代、彼氏と世間公認のお付き合いしている私に、
就職担当の先生が「腰掛に最適な就職先」と紹介くださった(笑)
すぐに結婚してしまうだろう、という心配りだろう。
(結局、遠距離になりすぐに別れるのだけど)

その職場、24才を過ぎると平気で肩たたきがはじまるような社風だった。
役員の中には、ボディータッチを常日頃コミュニケーション手段として使い(笑)
恥じらい方の手ほどきまでしてくださった。
今であれば、一発NG。訴えられる。ある意味、男性にとっては平和な世界だった。
それは当時、珍しくもなく上司も「彼氏はいるのか?泊っていくのか?」
と平気で普通に聞いてきた。
新入社員募集のための情報収集なのか?会社としては花嫁修業の女性を雇いたいという意図があった。そのため、実家からの通勤を進めていたのだ。
しかし、私は高校まで祖父母と過疎地に暮らしていた。
交通手段が限られており、市場ということで早朝から出勤する必要があり、
その時間にはどうしても間に合わず、しかたなく近くのアパートを借りた。
会社は実家暮らしを想定しているため、給料は最低賃金。
そのうえ、給料天引きの昼食代・総務会費・女性会費・2Fフロアーの女性会費・同じ高校卒業の会費・旅行の積み立て、と半ば強制的ないろんな会費を払ったら手元には6万そこそこしか残らず、
そこから家賃3万円を払うと・・・・。と、切ないほどの金額になった。

大学に行っている同級生や実家暮らしの同期をうらやんだりして。
友だちにさそわれて飲み会などに行こうものなら、次の給料日まで食糧難の日々。
幸いにも、昼食は職場でいただけるので(昼食代は天引きだけど)生き延びることはできたが、
日曜日は、ポテチと牛乳だけという暮らしぶりだった(笑)

そんな貧乏暮らしを、笑い話にしてやり過ごしていた。
歯磨き粉をケチって塩で歯磨きをしていたこともあった。
そんなときに、献血車がきたので、
先輩に「歯磨き粉もらいに行ってきます!」と勇んでいったのだけど、
比重がわずかに足りない。歯磨き粉が欲しい私は「いや、大丈夫です!」と、
血をとってもらったのだが、もらったのはお菓子とジュース。歯磨き粉がなかった!
ショックと貧血でクラクラしながら事務所にもどるり先輩に事情を説明すると、
「血を売る女」と呼ばれるようになってしまった。

そんな中、掃除のおばさん達の優しさが身に染みた。
時折「ちゃんと食べてる?」「これ作りすぎたから食べて」といろんなものを恵んでくれた。
また友人たちも独り暮らしの私の部屋を都合のいいように使うのだけど、
時々お米を持ってきてくれたり食料をもらったりした。
厳しい時のほどこしは、本当にありがたく身に染みた。

それでも、どうしても全然給料日までお金がもたない事態はおとづれる。
そんなあるとき時、母にすがり手紙を書いた。
「今月は病気の猫を拾って獣医に連れていったので、
すでに生活費がないのです。どうか少しお金をいただけないでしょうか?」と、
数日後、母から手紙が届いた。
中には500円だまと一行だけの手紙。「うちも苦しいです」。


あ~、これが大人になるということなのか。と、感じた瞬間だった。

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