内省

人生

昨年は一年間、一級建築士に向けて猛勉強をしていた。
睡眠不足は自分にとって打撃になるので、睡眠の時間を削らずに勉強の時間を作るとなると、どうしても生活や仕事を犠牲にする必要が出てきてしまう。極力、自分の時間の中でと思っていたが、そうもいかず朝と夕と土日祝日はすべて勉強にあてられた一年だった。
結果、学科は受かったのだが、実技(製図)で落ちた。今年は休憩の年にしようと思っている。
というのも、勉強も終わって、さて何をしようかと自己省察をしてびっくり。自分に気持ちがなくなていた(笑)押し殺すことに慣れすぎていたのかもしれない。なぜそう思ったかというと、自己省察のスキルに、一日の振り返りで、いつどの判断を下したときに何を感じたか記録する、というものがるのだけど、まったく感情が思い出せない事実に気がついたからだ。
自分でもびっくりした。なにも感じていない自分に。ある意味、人間の適応力なのかもしれない。自分をコントロールするための技だけで生活している感じだ。これは、人として、人生を無駄にしていると危機を感じて、感情を呼び戻すことを今年の課題にした。

勉強していた頃から、noteの方に日々の記録的なものを書いている。
以前は、本当に何をしたかの記録のみだった。ところが最近、どう思ったかを書けるようになってきた。よし、正常な人格にもどってきたぞ!と我ながら感じている(笑)
感情がわかるようになったら、どうなんだ?って気もする。
いやいや大切。自分の才能を知るためにも、進む道を知るためにも。

よく、「Why(なぜ)からはじめよ!」と言われているけれど、自分への問いかけは「何が」とした方がいいらしい。客観的にみる技なんだとか。なぜ?の問いは、抽象的で内からの疑問。自分を責める感じになってしまう。(「なぜ?」の質問が大切な場合もある。が、割愛。もっときちんとわかってから書こうと思う。)
自分をわかった気にならないためも。自己省察は一度で終わらせず一生続けるべきだ。
成長を続けるためにも知的謙遜が必要で、googleの採用でも重要視されているとか。

成長のあり方は人それぞれ。自己啓発のように誰かに言われた方向(ポジティブじゃなきゃいけないとか)に向かいのは危険で、自分に合った方向に進まなきゃ心を病む可能性もある。なので、自分を知ることが大切なのだとか。外から、内から自分を見なくてはいけないのだろう。
成長についても思うことがあって、自分にとっては成長でも、他の人から見たらただの変化なのかもしれない。もしかしたら、ダメな変化なのかもしれない。人と生活したり、組織での活動になると、成長の方向を確認し合う作業が必要になってくるので、さらに高度になってくるのだろう。個人の時代だけど、人類は一人じゃ生きていけない。

こないだ、若い子に「内省」することを勧められた。そんなことは充分わかっているのに、切々と訴えかけられ反論もせずにいた。すべてその通りだから(笑)。ごもっともなことを言われると、人はバリヤを張ってしまう。自分もそれだった。素直に「はい」その通りです、と言えなかった。頭でわかっていることを言われたせいもあるのだろうが、自分を変えるのは、外からの人じゃなくて、外(理性)と内(感性)からの自分なんだろうと感じた。また、そうでなくてはいけない。影響を受けるのはいいけども、自分で考えて自分で決断しないといけない。

世の中には知らず知らずに他人を操る術をもっている人がいる。まどわされないように。

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