スピリチュアル

人生

建築家として、建築のことを投稿したほうがいいのかと思っていたけど、投稿の閲覧数を見ていると建物のことは全然伸び悩んでいて、全然関係ないことの方が伸びているので、スピリチュアル系の題材にしてみようと思う。

私の祖母は「うせ物探し」を生業にしていたと聞いている。なくなったものを念じて探す人。
大正~昭和にかけて活躍したのだろうと思う。
偶然にも、夫の祖母も「いたこ」をしていたそうだ。
夫を早くに亡くし、修行をしたと聞いた覚えがある。
おたがい三代目だ(笑)。がしかし、お互いそのような才能はまったくない。
姉や弟が、たま~に不思議なことを言っているので、もしかしたら少しは血を引いているのかもしれない。娘も、たま~にそれらしきことを言っている。私は鈍感なので「気のせいじゃないの?」と思ってしまう。そういうことに敏感になってしまうのは、生活の乱れや気力の低下からくる、と何かで聞いた。今の生活に一生懸命だと、そちらに気が回らない。逆に言えば、余裕がなくて目が向かない状態なのであまり良くないのかもしれないけど。

叔父は宗教家だった。(どこの?というのは伏せておくけど)
大好きな叔父だったが早くに亡くなった。尊敬できる人、大好きな人ほど、命が短い。(と感じる。)
きっと、今の世での修業が終わってしまったのだろう、と思うことにしている。
短命なのは不幸なことではないのかも、残された身としては悲しいけどこの悲しみも修行のうちかもしれない。今考えは仏教的でもあるな。

海外は宗教に対して分断的であるのに対して、日本は寛容だ。節操がないと言えばそうなのかもしれないけど(笑)。日曜の朝のラジオで「幸福の科学」が放送している。昔はテレビでキリスト教の番組を日曜の朝に見ていた記憶がある。「暗いと不平をいうよりも、すすんで明かりをつけましょう」なんてフレーズでろうそくの明かり映像が流れていたような記憶がある。そんなのを見たり聞いたりするのが好きな子供だった(笑)子供のころの座右の銘は「おれがおれがの我を捨てて、お陰お陰のゲで暮らせ」だった(笑)言葉が間違っていると思うけど、仏教のラジオかなにかで聞て感化されてのことだった。
宗教はスピリチュアルとはちょっと違う気がするが、目に見えない「神話」をはらんでいて、日本人はいろんなところに目を向けられる国民性なんだと思う。自分をふり返ってみても、そう思う。

最近、宇宙人の話をよく聞く(笑)。私の周りの人から聞く話なのだけど。
一人の人が一つの宇宙って言うのは理解ができる。意識と無意識が無限にある気がするからだ。
皆、宇宙とつながっている、という話も聞く。そりゃ、宇宙の中にいるのだから当たり前だろうと思う。最近、良く聞くのは「宇宙人が混ざっている」論。絶対否定もできないとも思うが、う~んこれはメルヘンかな~という感覚を持ってしまう。しか~し、文化人類学の研究をするには外から観察していては何も見えてこないから、一緒に生活して感じ取ることが大事と聞いた。宇宙人もWithの精神で潜入しているかもしれない。地球人を理解するために。(わからないけども(笑)。)死ぬまでに、宇宙人と仲良くなってUFOに載せてもらいたいな。UFOも見たことないので、難しい話なのだろうけど。そもそも、宇宙人が固体であるとも言えない。気体の生命体もあるかもしれない。または、次元は幾重にも重なりあっているので、違う次元からこちらを観察できるのかもしれない。(これも、わからないけど。)

スピリチュアル的な話は有っていいと思っている。でも一つのことに没頭することの危険性もあると常々感じている。物語は大衆扇動にもってこいの材料だ。分断されればされるほど、容易に駆使される。人は信じたいものを信じてしまう。自分に都合のいいものをついつい信じてしまう。そんな癖があることも、大脳皮質にフィルタリングしておくことも大切だと思う。

でも、すべてを否定するのは、ちょっと寂しい。
日本人的にいろんなものを見聞きして否定せずに寛容に認め合えればいいと思っている。


こっそり言うと、私も感じることがある。でも人には言わない。
怖い思いをしたことはないし、「あ、今そこにいる」と思う程度。
そこにいてもいいから言わない(笑)

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