『ま』って?

思い

ポットキャストで、「誰かにイラッて感じる部分、実は自分の才能のある部分かもしれない」と聞いた。人より秀でていて自然とできる部分だから、周りの人ができないことに苛立ちを感じるらしい。

そっか、そっか、じゃ、私がイラって感じるのはどんなところだろうと考えたとき、「間の悪い人」イラっとしてしまうことを思い出した。

間の悪い人って?
かつての記憶をたどると自分のことしか考えられない人、自分のことしか話さない人かな~と思った。私にとって、そういう人が「間の悪い人」に定義されるのかと思う。でも、ただただ相性の問題なのかもしれない。こちらから正直に「今じゃない」とか「ごめんなさい、後にして」って言えないからなのかもしれないな。

物理的にも「間」の悪さはある。建築をしているとそこが気になる。
人が通るのか通らないのか、何に使われる空間なのかでも変わってくる。
図面で、う~んこの形、しっくりこないな~と思っていても、実際形になると、全然気にならなかったりもする。まだまだ経験値たりないな~と。

わが事務所にも、あえて無駄な空間があるのだけど、そこがなかな好評だ。あまり使われてはいないのだけど、雰囲気がいいらしい(笑)
狙ってたんでちょっとうれしい。

アダムの創造の指先

ミケランジェロの天井画、
システィーナ礼拝堂天井画の『アダムの創造』
のアダムと神の指の間が絶妙すぎて忘れられない。
触れるか、触れないかの間。映画、ETでも表現されていた。
映画「ラマン」でも人の手と手で、十分すぎる色気を表現していた。
また、「ラマン」では少女と女性の間がさらに色気を出していた。
変化過程の間っていうものもあるのかも。

お笑いや、演劇、映画やドラマのセリフとセリフの間も、とても大切だと思う。同じセリフと同じ表現でしていても、見ている人の感覚を考えた間で仕上がっていると、結果は全然変わってくる。

人間関係の間、空間の間、変化の間、言葉と言葉の間
間って深いな~。

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