自己実現 幸せのかたちは?

思い

先日、人と話していて、話題が「自己実現」にいたった。
「何かにならなければ」とか「夢を追いかけないと」と感じている人が増えている。
と、その人は言っていた。
自己実現を迫られている感覚の人が多いのだとか。
不安の多くはそんな感覚から生じているのかもしれない。ということだった。

少し前、「自分探し」などというキーワードが飛び交っていた気もする。
「自分探しの旅」と称して、一人旅なども流行った。
たしかに一人旅は自分を見つめるいい機会になるとおもうし、私も好きだ。
でも、それは自己実現とも違う気もする。
なりたい自分がわからないから見つけたい。
というのと、自分を見つめなおすのは別の話だ。

幸せの形が変わった。そんな気もする。
自由に選べる、その上情報も多すぎて皆迷子になっているのかもしれない。
そもそも、幸せになりたいと思っていたらいつまでも幸せになれない気もする(笑)

ドラッカーが
「顧客の創造」と称してから、商業戦略による弊害のような気もする。顧客獲得のための心理戦が、世の中に溢れている。
素敵な世界が映像で常に流れていて、
お金があればこんなこともあんなこともできるのに!と、みなたかぶっている。
「自己実現しませんか?」「本当の自分は?」
「始めるのに遅いなんてことはない。」ですよ。と教育商材も盛んだ。
そして、なにもかもが商業的になっている気もする。そんな私はひねくれものなのだろう。

とにかく何かを頑張らないといけない気がしている人が増えた。
習慣化が最も最強!と聞けば、キチンと習慣化を身に着ける。
みな素晴らしい!でも、みんなが同じことしていたらそこを突き抜けるのが大変だ(笑)
一方、ゆっくり生きることを幸せに感じている人も多く、二極化してきている気もする。

幸せ=自己実現となったのはいつからだろう。

女性の幸せの形も変わった。
昨今、女性の自立、自己実現が求められている。
子供を産んで、その上働けという昨今。

仕事と家庭を両立して、
それで不幸せだったのかというと、そう簡単な話ではないはずだ。

世にでたいがしいたげられて出られない、という感覚を持っている人もいただろうが、
多くはなかったはず。
家庭に納まるのも、きっと幸せだったのではないだろうか。
その幸せに自己実現への意識は、あったのだろうか。

世界的に、ジェンダー差別をなくそうという動きだが、
そもそも、肉体の違いはどうしようもない。


外的要因んで変わるより、自分で考えて変わるのが理想的だろうがそうもいかない。

OS(通説)で変えられるのかもしれな。
誰がOSを変えられるのか。

庶民の思想。先導する物語。

SNSの時代なので、先導は容易になった。コツをわきまえている人間は、簡単に人を先導できる。それは、危険もはらんでいる。
非常事態であれば、一丸となることが有用だけれど、
常時は多様性があった方が変化に対応できる。

OSの変化も簡単になり、そのための多様性が必要と叫ばれているのだろう。

やりたいことをなんとか無理してでも見つけようという世の中。だけど、
見つけられない人が不幸だとは思いたくない。

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