自己欺瞞

人生

自己欺瞞=自分で自分の心をあざむくこと。 自分の良心や本心に反しているのを知りながら、それを自分に対して無理に正当化すること。 
自分は、周囲に対して自己欺瞞気味だ。と自覚していた。自分を押し殺していると。
それがなぜか、昨日、「イヤ違う」と思った。
誰に対してか?で変わるんだ!気心知れた人には、結構さらけ出す。そのことを忘れていた。
いや、人を選ぶのもちょっと違う。人を選ぶじゃなくて、場を選んでのことだったのかも。心許せる関係や場じゃないと、なかなか本心は語れないのは当たり前だよね~。
今さらながらそう思ったら、気が楽になった。

「繊細さん」の表紙を飾る本を見て、「センサイぶっちゃうってどうなの?」なんて思っていながら、好奇心からHSPのテストをしてみてびっくり。自分はなんと繊細だったことか!
そんな自分をごまかしているといえば、ごまかして生きているのかもしれない。
社会で生きぬくためにはそれは生きる術でもあるわけで、それはそれでいいのだろうとも思う。
「私繊細なんです~、優しくしてください。」と言ってゆるされる社会でもない。
そんな人がいたら、私ですらイラっとするかもしれない。それ以前に繊細さんは自ら言えない。
(今、私は言ってるけど。)
しかし、繊細であるがゆえに見えているもの多々あるわけで、それはきっと強みなのだろう。
「鈍感さんはお気の毒。」って強気になっていい部分もあるのだ!頑張ろう繊細さん!(笑)

きっと、私に大切なのは睡眠だと自覚している。
人生初めての就職の面接で、「今一番楽しいことは?」と聞かれて「寝ることです。」と答えて「しまった!」と思ったのを思い出した。それでも合格したのだけど。(きっと誰でも合格したのだろうが)よくおなかがすくとイライラすると聞くけど、私はそのあたりは鈍感で寝不足が一番イライラする。

他に繊細な部分として自覚しているのは、衝撃音だ。
平気で衝撃音を発する人は苦手だ。でも、きっとその人は気づいていないのだろうから、仕方ない。戸を閉めるとき大きな音を立てる人、足音がうるさい人、テーブルに何度となく手をたたきつける人、その時の音が威圧的に感じてしまう。勝手に感じてしまうのだから、誰も悪くないのだろうけど、なるだけそんな人とは距離をおきたくなる。こっちの勝手な言い分なのはわかっているのだけど。きっと他の部分での繊細さんも大勢いて、私もその方々にご迷惑をかけているのだろう。
そっちの目で見ることができるだけでも、繊細でいてよかったのかもしれない。

SNSがある世界で成長してきた今の若者の共感力が低下していると、本で読んだ。
共感力とは?共感力の測り方がどういったものか?など、細かくは書かれていなかったのだけど少しだけ腑に落ちるところがある。昨日もある人と若者とのギャップの話になって同じようなことを言っていた。いつの時代も世代間ギャップはあるものだし、私が若いころも大人たちが怖かった。
この年になってみると、大人は結構大人じゃなくて、大人側はもっとフランクに接したがっていたんだな~と気づく。若者よ、大人はそれほど大人じゃないので大丈夫!のびのび生きなさい!と言いたい。

自分と置き換えた考え方をすると、共感したくてもできる部分がないのかもしれない。私のように自分を出せないのかもしれない。であれば、自己表現できる場を大人側が用意するのがいいのかも。
心置きなく1on1 できる場をつくることで、分かり合えるのかもと。

いつもながら話が右往左往した。
自己欺瞞は生きる術!ということに気づいた、という内容でした。

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