非効率の効果

ビジネス

とある非効率な会合で

先日、とある会合に参加した。
前情報もあまりなく、当日もプリント資料などなく
行き当たりばったりな感じだった。
代表がいろいろ説明している間に、名簿を回して記入
名簿を回しながら、場所移動し会場視察、会場の間取り図も一枚のみ。
皆でその図を交互に見て確認。
資料はなかったのだけど、その場でホワイトボードに板書
今後の連絡手段をどうするか?ラインのアカウントを代表と交換しましょうか?
となったところで、一人の人が「時間がかかりすぎる。FBでライングループのアカウントを公開してください」と提案がありそうすることになった。
心なし、その提案者は少し苛立ち気味に見えた。

効率的だった場合を想像してみた

そこで私は、効率的に短時間で済ませた場合どうなっていたか?想像してみた。
会場の間取りや会合のタイムラインなども含めた資料を皆に配布し、ライングループへもQRコードで参加できるよう資料に掲載。
名簿も申込時のフォームからオンラインで作られるようにすることで当日は作成不要。
会合当日は、代表のあいさつ。
会場の説明。
場所の確認。
以上をそこそこで終わらせ、資料を読み上げておしまい。
という感じで早々に終了できただろう。
まぁ、それはそれでOKなのだが、少し味気ないなと感じた。
あくまで、私の妄想だけど。

非効率での実際

実際は、資料がない分質問が活発にでた。
会場では、近くの人とわからない点、不安に感じた点、から自己紹介へと話すことで
交流することができた。
板書をメモに書き取ることで、自分の脳にも刻まれた。
最後に、ラインで代表の方とつながりたかったし(笑)
参加者にとっては、時間と労力は無駄にかかっているのかもしれないけれど、
知らない人と交流ができたし、いろいろなことが記憶にも刻まれた。

コスパ重視でいいの?

コスパ重視は、先々どうなのか?と最近思ってしまう。
思考不要な作業は、できるだけ効率のいい方がいいとは思っている。
先日の会合で、人とかかわる点でも非効率な方がいいのかもと感じた。
長い目で見て、今は時間がかかったとしても結果は有効に働くような気がする。

また、無駄は人を成長させる気もする。
「不器用は才能だ」と何かで聞いた。
確かに、器用な人はすんなり身に着けられるけどすぐに忘れてしまう。(違うかもしれないけど)
苦労して身に着けたものは、記憶の奥深くに根付くだろう。
そして、不器用な人がスキルを身に着ければ、
組織のボトムアップにもつながり、先々有用な人材が増えるだろう。
強い組織になるに違いない。
無駄と思われる時間はやはり必要な気がする。

AI・ロボットに任せる

とはいえ、ある部分での効率化、目先の結果は大切で。
そんなところは、逆に器用な人にまかせてもいいのかも。いや、AIができるのかも。
効率化をはかるばかり型にはめると広がりが生れない。新しいものが生まれない。
それに、人間はロボットじゃない。心が変化しない人間などいない。
一人一人の人生も考慮すれば、
型どおりに生きることなんてつまらないし生きにくくもなるだろう。
効率化は目先の結果を生む。しかし定期的に壊したほうがいいとも思っている。
常に新しく変化するためにも。
なので、これから効率が必要な部分はAIに任せる世界になる気がする。

最近の流れ

最近、効率重視を疑問視する意見を多く聞く。
資本主義経済ゆえ、どうしたって効率を上げることは必要不可欠だが、
先日の会合で効率が悪いがゆえに効果が上がる点があることに気が付いた。

物を創るうえでも効率重視はあまりよくないような気がしている。
できるときはパッとできるが、できないときはできない。
悩んだり変更したりした分ブラッシュアップしていくような気がしている。
力の出し惜しみや、やり直し!は惜しまない方がいいと思っている。
(自己満足なのかもしれないけれど)

フレームワークの意味

世の中全体的にも、そのようなながれになってきているようにも感じる。
効率的に考えるためにフレームワークをたどって、どうすれば収益をあげられるだろうかと毎年毎年考えているのだけれど、結局は絵に描いた餅で何が起こるのかわからないのが実情。
そのことを知っただけでも、フレームワークに意味があったかもしれない。
いや時折基本の気持ち、過去の自分立ち返る材料になるという点で、
アウトプットすることには、きっと意味がある。

結論

山口周さんのビジネスの未来では、人間の衝動性を大切に!とうたっている。
おおいに賛同。
といいつつ、衝動的活動ができるようになるため、目先の経済をどう合理的に行うかを思案中。
まだまだ、どっちも大事だと感じている。

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