「してあげた」なのか「してもらっている」なのか

人生

幸せを感じるときはどっちなんだろうと思って表題を書いた。

自己啓発本などは「感謝」の大切さをうたっている。
「ありがたい」と思ったほうが世界は円満なのかもしれない。
でも、そうなの?
と、へそ曲がり(私)は思う(笑)

かっこつけて言えば、私も日々感謝している。厚かましくいろいろ甘えている。本当に本当に自覚している。と、勝手に感謝だけして、その感謝は果たして伝わっているのだろうか?
私を甘やかしている人々は私の無料の感謝に満足しているのだろうか?
どれだけ感謝を表現すれば相手も満足し、私も心晴れやかになれるのだろうか。
逆に、「そこ、不要なんだけどな~」と思うこともあったりするが、相手をおもんばかって偽りの感謝を伝えたりする。きっと、そんな経験はわたしだけじゃないははず。(でしょ?)

「あんなにしてあげたのに、あの人は何にもしてくれない」なんていうことは、この行き違いから発生するのだろう。してあげてるのはしている人の勝手で、してもらっている人は「ありがとうって言ったよね」で済んでいるのかもしれない。感謝してもらおうと思っていないにしても、そんなこと言われたらカチンとくる。でも、求められてない行為をこっちが勝手にしたのなら、それはもう仕方ない。見返りが欲しいなら、その都度伝えなければ「ありがとう」で済まされて当然だ。「ありがとう」と言ってくれたことにたいして「ありがとう」を言わなければいけないのだろう。報酬の話ができないのなら。

人それぞれではあると思うけど、
人にお世話になるということは、心に重荷が増えることだと思っている。
誰かが○○の「負債」と表現していた。(誰だったか、〇がなんだったか思い出せないけど。)
誰かの本で、ギバーとテイカーの分類もあった。(また、誰かの本ってあいまいで申し訳ない、後で調べる)ギバー=与える人、テイカー=奪う人、という定義。
成功する人はギバーが多い、テイカーは成功しない。ただしギバーでもテイカーを退けられるギバーじゃないと成功できないという。よく、ギブ&テイクというけど、こういう人はマッチャーと表現されていたと思う。多くの人はマッチャーということらしい。テイカーはギバーを探して搾取するらしい。

本題に戻って、ギバーはきっと「ありがとう」がご褒美なんだろうと思う。ご褒美というより生きがいなのかもしれない。テイカーは無料の「ありがとう」を大放出していて得した気分で満足しているのだろう。でも、マッチャーはなんだか居心地が悪く「なにかお返ししなくちゃ」となるし、テイカーとはそのずるさから距離をとるらしい。「つまらないものですが・・・」はマッチャーの居心地の悪さからお茶を濁してチャラにしようとする行為なのだろう(笑)あくまで私の見解です。

確かに「してやってるのに!」とイライラするマッチャーより「ありがたい!」と感謝しているテイカーほうが心穏やかに見える。「なんだか申し訳ない」って思って過ごすのも(これもマッチャー?)なかなか心が重くなる。なのでマッチャーは「奉仕」を常日頃行って「これでチャラ」と気持ちにけじめをつければ心も軽やかになるのかもしれない。つまるところギバーになるということかも(笑)
日々の「奉仕」と、感謝の心でのびやかに過ごしましょう!と自己啓発本っぽいこと書いてみた。

実は、
明日「つまらないもの」でお茶を濁そうとしつつ、書いてみた(笑)

参考文献
GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代   アダム グラント (著) でした。

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