鳥の声

人生

今日、ラジオを聴いているとシジュウカラの鳴き声の研究をしている方が話していて、とても興味深かった。日本全域に生息するシジュウカラだが、求愛や危険の合図のほかに、単語も表していたり、方言もあったりするらしい。そして、シジュウカラの言葉ではあるが、実はリスやほかの鳥たちも理解しているようだ、とのこと。「蛇だ!」と「鷹だ!」では鳴き声が違っていて、違う行動がみられるらしい。
であれば、古代の人間ももしかしたら、当たり前のようにシジュウカラの言葉を利用していたのではないか?と思った。シジュウカラに限らず、体感した様々な経験と結びつく結果があり、その都度心にとめることで生き延びてきたのであれば、少しの情勢の変化は敏感に感じ取ることが大切だったはずだ。

現代人も、自然の声が理解できたら世界は広がるはずだろう。
小鳥の鳴き声が理解できたら、鷹が飛んでいることや蛇が生息していることにも気が付ける。
生活の危機に直面していないので退化してしまったのであろうが、ちょっともったいない気がしてならない。

子供のころ、里山に住んでいた。(今もかな)
少し歩けば森があった。ここ九州と違うのは、全く手つかずに近い原生林のような森だった。
九州の森は、ある程度人の手が及んでいる感覚がある。北海道の山は本当に手つかずなのが感じられる。好奇心から、森に入ったことがあるが、それはとても怖い体験だった。
上手に言葉にできないけれど、人が気軽に入ってはいけない領域のような気がした。
冬になると、スキーを履いて難なく入っていける場所だったはずなのに、怖かった。天狗ににらまれているような感覚にも似ていた。そんな怖さから、たくさんの物語が生まれたのかもしれない。

何年か前、帰省した折に三国峠の展望台から山々を見下ろした。
どこまでも続く原生林が広がる。自然に勝てる気が全くおこらなかった。
アイヌの人たちは、自然とともに生きるすべを知っていた。
和人より賢かった。私は、一人ではとても生き残れない。

今でも、自然を恐れる心が大切だと常日頃思っている。
人が制圧してはいけない領域がもっと必要で、自然への畏敬の念を持つべきだと。
そして、ともに生きていることを感じられる場が必要だと。それも身近に。
そんな、街づくりができるといいなと、思った。

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