人間の世界、動物の世界

人生

激動の世界になっている。
物価はどんどん上がってきていて、今後どうなるか不安がつのる。
そのことによってさらにモノの値段が上がってしまう。
お金も権力もない人間は、ただただ傍観することしかできない。
だけど、傍観できることも強みなのかもしれない。

人は「感謝」や「感動」を忘れがちだ。どうしてそうなるのか?考えてみる。
きっと、日常に埋没してしまうからだろう。「あたりまえ」で片づけてしまう。
それは、脳が情報を取捨選択して、多くの刺激から気が狂わないようにしているためだろう。
感受性が高いほど、多くの情報に耐えるのがつらくなる。
人によって感受性の感度とそれが高い部分は違っている。それは人間関係だったり、視覚だったり、聴覚だったりするのだろう。
また、クリエイティブなイメージを膨らませるのに、雑多な情報や刺激はじゃまになる。逆に他の刺激を使って雑多なものを消そうともする。「本を読むのは良くない。」という意見もある。
多くをとりいれることで、鈍くなる部分もある。確かにそれは感覚的に感じることも多くある。
感覚を取り戻すために知識がじゃまする感覚もある。逆に知識を得て、世界が広がった経験もあるけれど、その知識を当たり前にしない努力が必要なのだと感じている。

当たり前を当たり前にしない技として、日常と非日常を行き来することの大切さがある。ことに、最近特に感じる。旅行することも一種それにあたると思っている。コロナで控えることでそのことに気づかされる。なくなって気づくことがここにもあった。
非日常に身を置くと、動物的な感覚がよみがえる気がする。五感が戻ってくることで、第六感も呼び戻されるような感覚だ。きっと意図的にそんな時間を作ることが大切なのだろう。
日常に浸ったきりになるのはぬるま湯につかって楽ちんなのだけど、ちがったモノの見方をできるように心を柔軟に保つためにも。

あるお坊さんが言っていた。
犬は素晴らしい師匠だと。
毎回、初めての喜びのように飼い主を出迎える。このように、嘘偽りがなく、いつも初めての感動や喜びを忘れないこと。それが大切だと。
野生の感覚を定期的に取り戻すことは、精神的な喜びにもつながるのかもしれないと感じている。

ポジティブが大切だと言われるようになって久しいが、実はネガティブも大切で。
古来より人はネガティブにできていて、それがゆえに生き残っている。
DNAに刻み込まれているから、そっちに引き込まれていくのはしかたない。
実はネガティブの有益性もある。怒りや不安を利用していくことは有益だ。逆に極端に「ポジティブに!」というのは危険でもあるとも聞く。根っこのネガティブを改善することなく、ふるまいだけポジティブにしていると精神疾患を患いやすいらしい。なぜ、自分がネガティブ構造なのか?を知ることも大切なのかもしれないが、人間はネガティブであるがゆえに生き残れるので、どこまで改善すべきかも個人の判断ということだろう。
<参考>ネガティブな感情が成功を呼ぶ ロバート ビスワス=ディーナー (著)

人は不安である時の方が学習能力が上がるらしい。
確かに、その辺は実感する。
安心していると向上心も湧きにくい。
安心して暮らしたい、その本能は捨てがたいからやっかいなのだけれど。


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