「他人事」の有効活用

心理

建築など、不動産に関わる仕事をしていると何かとトラブルが起きたりもする。
初めての頃はトラブルで、夜な夜な思い悩んで夢に見てうなされるほどだった。
しかし、年を経るごとに鈍感になってくる。
いや、わきまえてくるのかもしれない(笑)
「他人事にして逃げる」ということではなく、むしろまったくの逆で「自分事」にするための技だ。

トラブルの原因は誰か一人の問題ではない。
若いころは自分の非を自分で責めていた。
「あの時確かめなかった私が悪い」
「もっときちんと説明していれば誤解はなかった」
「もっと相手に危機感を持ってもらうよう働きかければ・・」
などなど、きりがない。プレッシャーと戦っていた若いころの日々。
自分の非を認めることは間違いではないと思っている。
私は、結構簡単に認めてしまう(笑)それが良くないという人もいるけれど、
どっちが悪いと攻め合っていては解決が先に延ばされる。
そうであれば、非を認め今後どう対処するか先に進めたほうが気持ちが楽だと感じるからだ。

原因を探れば、私が一方的に悪いわけでもない。
原因説明していくと、相手の方もその点に気づいていくものだ。
それに気づく準備ができるのも、こちらが非を認めるからだろう。

最近、自分はどうしてここまで冷静にトラブルに対処しているのか?と考えた。
確かに、若いころ上の人の尻ぬぐい役を多くしてきたという経験も大きいとは思う。
その点では、いろんな経験をさせてくれて感謝しなければいけないのかもしれない(笑)
でも実は、最近気がついたことがある。
少し冷徹に対応できるのは、他人事のように見ているからかもしれない、と。
サイコパスの特性が有効に働くときがあるときいたことがある。社長や政治家、弁護士や医者などはサイコパスが多いとか。一番多いのは仏教曹だとか。他のことに気持ちがとらわれないで今に集中できる特質はサイコパス特有なのだとか。ある意味、冷血な判断もいとわない、感情に揺り動かされないという特質で合理的判断には有効らしい。
それを使う術がこの「他人事」なのだと感じた。
責任を回避する術ではない。
あくまで心の問題。心をすこし他人事にしてみる、という技だ。
解決すべきは何か?では、どうしようか?どう行動しようか?と、感情を抜きにして考える。動揺している自分を隣においておく。
問題から逃げたり言い訳したりは、事態を悪化させるだけだ。
他人の自分に考えてもらう、みたいな感じが結局判断間違いが少ないと感じている。
それが、動揺せずにすべて「自分事」として引き受ける技なのだと。

こう書くとなんだか自分はトラブル続きのように感じられるかもしれない。
いや、自分だけではない。建築現場にいると、大なり小なり問題は発生するものだ。
いいわけではない。問題がない現場は何かしら問題を隠している可能性もある。隠さず、向き合い、解決をしないといけなくて、そのためには感情はひとまず横にお言え置かなければいけない。
問題解決能力が問われる仕事なので、資格取得には経験が必要な分野となっているのだろう。
なので施主の皆さま、多少のトラブルに一喜一憂しないよう寛大な心を(笑)お願いいたします。
みな、施主への愛で仕事しています。自分の周りはそうだと信じています。もちろん自分も含めて。

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