ブログを毎日書くということについて考えた

八女市にあるOHAKO 思い
八女市にあるOHAKO

本業は建築設計で、そちらからリンクでつながっているブログは、結構真剣に向き合って書いている。それは、それは、いろいろ調べながら筋道立てて2~3日かけたりしてる。それに引き換えこちらは、ただただ漏れ出るものをたれ流そうかと思ってたりしている(笑)
毎日続けることが大切とも聞くので実験的に続けられるところまで。



でも、ブログを毎日書くって誰が面白くってやってるんだろうっていつも思っていて(笑)有名人のブログなら読みたくもなるもんだけど、お隣にいそうな平凡な人の日常を知ってどうするのかな。書く人本人も、身の一部をそぎ落としながら暴露するような感覚があって(笑)
知られたくない所は隠せばいいんだろうけど、うっかり一回でちゃった事実はもう隠せなくなるから怖い気もする。
誰も、興味持たないだろうなと思う反面、興味持たれるのも怖くて。
それでも、しのごの言わず、楽しんでみようかなってようやく思いはじめた。

先日、人と話していて、親との関係性についての話になった。
「今になって親の言うこと聞いときゃ良かったって思うことがあるよ」と言うと。
「例えば?」と聞かれ
「しきりに先生になれって大人たちに言われて、素直にきくのがいやで反抗してならなかった、なのに今は自分に向いていたのかも思う。現に講師のバイトしてるし(笑)。」

「それと、文章を書くことを勧められたな。」と思い出した。
子供のころよく読書感想文の発表会に出されたりした。
生意気なこと書いたら選ばれるんだな~、なんて思いながら。
とんがってたんだろうな。と回想。いや、今もかもな。

父に金の無心の手紙を出した時も「面白かった」と褒められた(笑)
もっと文章を書くように言われた。
今のように気軽に発表できるすべも、そして自信もなくて、
金の無心の手紙を褒められても・・・と気恥ずかしいような思いになったのを思い出した。

高校生の頃の日記が出てきた。
これは!死ぬ前に捨てなければいけない代物。
と思いつつ、死ぬ前に読んでみた。
うん、かなり幼稚だけど気持ちを素直に言葉にできていて我ながら面白い(笑)
今より、純粋で「あほだな~」とかわいくなった。
自分がこんなに自分が好きだったとは。

最近、本職の方のブログをよく褒められる。
問い合わせがあった方に、「どうして?」と聞くと「ブログを読んで」とよく言われる。きっと言うことだけ立派なんだろうな、と。
なるほど、その点も先生に向いていたのかも。
ずっと「先生と呼ばれるほどのバカはなし」と先生をなじるような思いを持っていたけど、自分も言うことばかり立派になってしまっている。

もっと、立派な生き方ができる大人になるはずだったのに、長いものに巻かれたり、自分を守るためのうそをついたり。

人間だもの、みつをばりに自分に言い訳したりして。
きっとみつをさんは、人を慰めるための言葉だったはずだけど。

この暴露が後悔となりませんように。誰にも見られたくないけど、見られたい(笑)

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