去り際の妙

人生

私は良く、去り際や、残るものを考える。
なので、よく人にも聞いてしまう。「どうやって死んでいきたい?」

生きていれば、どうしたって人は何かしら残してしまう。
物に限らず、記憶や言葉。
多くの物は語らずも記憶を宿すし、人の心の中には多くの言葉や記憶を残してしまう。
映画MIBのように周りの記憶から自分の記憶を消し去る装置があったなら是非とも使いたいのに。いや、やっぱり使いたくないかな~。悩む。
死んだあとSNSをどう処理するか話題になっていた。自分なら、そうだな49日が済んだら消してもらおうかな。このブログも。
とにかく、自分の去り際をいいものにしたいと思っている。
自分にとっても、周りにとっても。悲しみや憎しみがほどほどになるように。

いっそのこと、「早く行ってくれ!」と思われる悪役になれば、私の死は清々しい映画のエンディングのようになるのかもしれないな。なんだかそれもありかも(笑)いや、まてよ負の感情もいっぱい残すかもしれないのでやっぱりやめよう。消えない憎しみが、民族間、家族間に残ると厄介だし、それにちょっとは好かれたい。(笑)
つらそうな姿は、あまり人に見せたくない。迷惑もかけたくない。でも、残される方としては逆に最後くらい世話したい、一緒にいたいと思うもので。であれば、こちらが折れて世話になることは見送ってくれる人への奉仕なのかも。看取ってくれる人がいる前提だけど。

独身の弟が、「自分の最後は孤独死だ」と言っていた。
それはどうなるかわからないけど、死ぬときはみんな孤独なのかもしれない。
体がつらい時に誰かと一緒にいたいか想像すると、私は一人でほっといてほしいと思う。だから孤独死もいいかもと思ったりもする。人知れず・・・

いや、長々と遺書めいたこと書いたけどまだまだ死ぬ気はないので、心配しないでほしい。(心配してないか!)ただ、たまに「理想の死に方」について考える癖があって。自分の命を自ら落とすことはもったいなくて考えられない。だけど、死に方については考えてしまう。
きっと、実際は死に方を選ぶことはできないのだろうけど。

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