カリスマ性

人生

なぜか人を引き付ける人がいる。
それはどうしてなのか?
カリスマ性のある人は、なにゆえカリスマ性があるのか?考えた。

スクールカーストは自然発生的に形成される。
カリスマ性のある人は、何も意識せずともトップに君臨する。
その人たちの個性を私なりに分析してみた(笑)
「明るく親しみやすい」「神秘性がある」「自信がある」「見た目がいい」
という感じ。「見た目がいい」は後天的にはどうにもならないけど、前半三つは何とかできそう?

どうしたって「明るい」人は明るい(笑)
明るくふるまうことは、後天的にも身に着けられそうだけど、自分を偽ってまで明るくふるまうのは心理学的に危険とされている(ようだ。笑顔もしかり)。暗くならない程度の明るさでいいのではないかと自分では思っている。さらに一緒にいて楽しい気分になるような場を作ること。そのことで回りに人が集まるのだと思う。
では、どうすればそういう場になるのか?
先日、地域のラジオ収録にゲストとして参加した。最初緊張したけれど、話していてとても楽しくなった。なぜか?自分が主役で、自分のことを話していい場だったから。口下手の私でもそうなのだから、きっと人は皆、自分のことを話すと気持ちがいいのだろうと思う。
なので、やっぱり人の話をよく聞く「傾聴」は大切なのだろう。

そして親しみやすさだが、人には距離感というものがある。
パーソナルスペースは物理的・心理的に必要な空間。その大きさはきっと人それぞれなのだが、
カリスマ性のある人は、心もオープンで距離感が近くても平気なのではないだろうか?
さらにその人の魅力が加わることで「親しみやすい」イメージを人に与える。
「親しみやすい」人は、欠点があるとかないとか抜きにして人に受け入れられやすい。

「神秘性」について
なぜ神秘性を加えたかというと、人には「知りたい欲求」があってどんな人か簡単にわかってしまうような人は簡単に飽きられる(ような気がしている)。わかりやすいブレない信念も必要だと思うが、カリスマ性の高い人は私生活はあまり見せない人が多い。また、思いもよらない行動や発言をする人は人を引き付ける。次に何をするのか目が離せなくなる。(だけど、長く一緒にいると疲れるかも(笑))

「自信がある」人と一緒にいると安心できる。「自信がある」人と一緒にいると、自分もなんとかなりそうに感じ、困難も困難ではなくなる。なので、一緒にいたくなる。ということなんだろう。

話はずれるが、ちょっと豆知識
大衆扇動するひとは人の「不安と安心」を上手に駆使するそうだ。
不安を感じさせる人には注意したほうがいい。不安感をあおって安心感と対比させ、自分の有利な方へ導いていく。小技として、視線をうまく使って不安感と安心感を与えるらしい。宗教家も使う手だそうだ。(一応言っておくと、宗教が悪いとは思っていない。安心感が得られるなら宗教はいいものだと昔から思っている。)人々をいい方へ大衆扇動することは、素晴らしいことと思っている。

カリスマ性にもどる
「見た目がいい」だが、これはなかなか治せない。でも努力はできる。
清潔感を保ったり、ファッションに気をつかったり。
他にも表情豊かにすることも大切だと思っている。
話に反応してくれていると、聞いてくれている感じが伝わるし表情豊かな人は魅力もアップする。
人は自分に興味を持ってくれている人を好きになる。(はず)


カリスマ性のない人間には努力が必要で、何も考えず、何もせずに「自分はダメだ。」「自分は我慢してる」「自分は損してる」「こんなに頑張っているのに認められない」など、負の感情をため込んでいるよりも、「あの人はなぜ人気があるのだろう」「あの人みたいになろう」と観察して取り入れることの方が、健全で気持ちも楽になるはず。と、自分に言い聞かせようと思う。

カリスマ性のある人は、伸び伸びと人を操る(笑)
自分ももっと自然に厚かましくなれたなら!と思って書いてみた。
(もちろん悪い方へは導かないよ。)

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