境界線

心理

建築をしていると、気になるのが境界線だ。

単純に敷地の境界線だったり、建物の中と外の境界線だったりもする。
戸がなくても、壁の一部が床から上がっていたり、天井から下がっていても空間が仕切られる。
ほかにも、表面仕上げが変わる部分があったりするのも境界線だ。

もっと狭い所、部材の合わさる箇所も、境界線でそこをどうするかで室内のイメージはずいぶんと変わってくる。洗練されたように見える室内は、そういう個所をおろそかにしない。
ミース・ファン・デル・ローエいわく「神はディテールにやどる」だ。

ミースはル・コルビュジェ、フランク・ロイド・ライトと並び供される建築家
ディテールとは、細部の詳細のこと。建築用語で「おさまり」ともいう(あってるかな)
適当に図面を書いていると、「ここの『おさまり』どうしますか?」と聞かれることになる。
できる設計士はそんなこと言われないくらい図面を書くし、できる工務はざっくりした図面でも施工図(詳細図など実際に現場で作成に使う図面)を書いて設計者に承認を求める。

かなり昔になる。
SANAAのインタビュー記事を読んだのだと思う。
妹島さんが、「西沢が壁の厚みについて現場でいろいろやっているな~と思ってみていた。出来上がったものを見て納得した」というようなことを言っていた。
そこに載っていた写真を見ると、なるほど壁の厚みを感じさせないようにエッジを効かせることで、その奥の空間が平面的に見えていた。一枚の絵画のようにも見えた。
妹島さんの梅林の家は壁厚を極力薄くしている。SANAAの建築は今も厚みを抑える工夫がみられる。
つまり境界をどう見せるかで印象はガラリとかわる。

もっと広い意味で森と広場にも境界はあるのだけど、そこはあいまいである程度の幅がある。
しかし、その境界は動物にとっても、昆虫にとっても重要な空間なのだそうだ。
空間を行ったり来たりする、とても大切な場所だと昆虫博士の方がおっしゃっていた。
自然界にも見えない結界が、きっとあってそこは曖昧にすることで豊かな場所になるのだと思う。

人生においても節目っていうのがある気がして。それがいつなのか過去を振り返って気付くのだけど、
その節目もある意味「境界」だと言える。
究極の節目は「生」と「死」なのかもしれない。

物理的には国境線も境界線で、今は二極化が進んでいる気がする。
ナショナリズムとグローバリズム。どちらが正しいとかは簡単に言えないけど、
国境線とか人種とかなんて、バカバカしいとも思っている。
人間が勝手に、楽に判断ができるようにするためのカテゴライズなのだろう。
カテゴライズすると、考えることが楽になるし仕組みもスムーズに運ぶからだと。
どっちが正しいとか悪いとかのジャッジをするためのものではないと思う。
というのは私の勝手なジャッジ。(笑)

軽く建物の話をと思っていたのだけど。ずし~んと重くなってしまった(笑)
毎度、ちゃんとプランを練ったブログじゃないのでお許しください(笑)

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