□文字を書くこと
いつもは、PCに向かって「何を書こう」と思い悩んでいて。
今日は机に座って考えてみた。
この身体感覚「ペンを持って文字を書くという行為」は、キーボードを叩くことどこがどう違うのか?
動きが違うのは当たり前だが、もっと違う感覚がある。
頭の中のものを吐き出すスピードはどちらもそれほど違いはない。
ペンを持って書きながら思うのは、書く前に映像を頭に思い描くことだ。キーボードを叩くときには、言語を音として考えている気がする。
また、音も違う。キーボードを叩く音に比べペンを走らせる音はささやかで、そこに集中させられる。
流れるような感覚がペンなのに対して、キーボードは跳ねるような、スタッカートの感覚だ。
そしてさらに、ペンを持って書くとペン先の感覚が別に加わる。
修正の仕方もPCとは違う。混乱してきたら、初めから書き直さないとぐちゃぐちゃになる(笑)
□描くこと
描くことも文字を書くことに似ている。
ペンタブで描く感覚は、ペン先に感じる感覚が全く違う。
また、絵の具などを用いる場合はその匂い、色の変化の仕方、載せかたなど、デジタルとは全く違う感覚だ。
□読むこと
いつも思うのだが、電子書籍は頭に入りずらい気がする。古臭い感覚が残っている世代だから?と思っていたが、脳を使う領域が違っているようだ。「ブルーストとイカ」を読んでいる途中なのだけど、文字を読む時の脳の働きは多岐にわたるという。文字の発明は人類の進化にも多大な影響を及ぼしているらしい。
もう少し読ん後に、詳しくまとめ解説でも。
□聞くこと
今はデジタルを通しての音が氾濫している。音楽など私たちはそれで楽しんでいる。
でも、日常の中に潜む音に人は無関心になりがちだ。意識をそこに向けると聞こえる音がたくさんある。例えばエアコンの音、冷蔵庫の音。脳が情報過多にならないようにスルーしているのだろう。
茶道ではお湯の沸く音を「松風」というらしい。
片付けのなかに、しゅんしゅんと沸くお湯に水を差す作法がある。
すると、お湯の沸く音が止み一瞬の静けさが訪れる。そして、今まで忘れていた「松風」に気づきそこに意識を集中させられる。
音は振動でもある。太鼓だったり人間だったり、音の振動を体で感じることは大切な気がする。
映画「エール」や「コーダ あいのうた」を見て思った。
じわっと来るいい映画だ。ぜひ見てほしい。
聞こえなくても、体で感じる音がある。
□身に着ける
衣服も来てみないとわからない感覚が確かにある。
眺めているだけでは気づくことができない良さ。上質な衣服にはあると思う。
□身を置くこと
建築をしている身としてはこの感覚がとても重要に感じている。
「そこに身を置いてみる」という作法。映像では伝わらない。
建物に限らず、自然の中だったり、水の中だったり、空気感だったり。
これこそまさに身体感覚!と言える。
霊感のある人は、その感覚もこれに含まれるのかもしれない。
不確かなことが多い。ネットの情報も。
情報もそれはそれで大切。
諸行無常。身体で感じるものも不確かなものなのだとは頭ではわかっている。
でも、これらの身体感覚を捨て去り生きるのはもったいない。
少ない人生。さわれるもの見えるもの聞こえるもの、すべての感じることを味わい尽くしたい。
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