人間の情動は外からわからない。
昨日も書いた、ミラーニューロンは相手の情動を感じて脳の同じ部分が反応する作用。
人間同士でも作用するんだけれど、馬はそこが発達している。感じる力がすごいのだとか。
人間の気持ちを読んじゃっているということだと勝手に解釈している。
どうしたって、初めてお会いする方には緊張してしまうのだけど、私はそれを感じ取られないように鎧を着たりする。そのせいか、あまり動揺しているように見えられていないよう。
実は、心の中は挙動不審な状態なのだけど、昔から人間にはつたわらないみたい。通信簿には子供のころから「落ち着いている」と書かれていた。表面化できないだけなのだけど。
平常心は自分でふるまうものなのか?それは本当の平常心なのか?とも思う。
外から平常心をまとっているように見えているけど、私のように内心慌てている状態は本当の平常心とはいえず、では、「平常心が大切」と言われても努力は無駄なのではないのか?などと思ってしまう。
それとも、努力で習得することができるのかな?
確かに外科医などには必要な素養だと思われるので、習得可能なのかもしれないけれど、きっと外科医の方も慣れた場面で発揮することができるはず。予期せぬ事態でもそれを発揮することはできるのだろうか?もしかしたら、自分の中に何かスイッチがあるのかもしれない。とっさに押せるスイッチが。
最近思っている。人間が判断ミスを犯すのは「焦り」と「恐れや不安」に苛まれた時なのではないかと。政治をつかさどる人は、時に非情にならなければいけないと感じている。冷静な判断を下すためにも。非情と冷静と平常心はイコールではないとも思うが、自分の中にも情動と非情のスイッチを身に着けられたらどんなにいいだろうと思う。今日このごろです。
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