長崎弁 「でぶ」

人生

私は意外と「でぶ」が好きだ。


何のことか、わからないだろう。
嫁いですぐは、主人の実家の会話についていけずに懸命に空気を読んだものだ。
義母は気を使ってくれ、ある程度分かるように伝えてくれたが、義祖母や義父は標準語を話すことができない(?)ため、外国に来たような気持だった。主人の兄弟も集まると、五感をフル稼働させて言ってる意味を推測する。私の脳内ではネットワークが活発に働いていたことだろう。それはそれで楽しい発見があった。どうも語学の習得は苦手の部類で、何度も同じ言葉の意味をたずねていたと思う。

話を戻すと「でぶ」とは、(ここら辺だけの言葉なのかもしれないが)地域の皆で集まって地域の整備をする活動だ。里山に暮らしているので、年に数回の集まりがある。農業を行っていたころは田んぼや畑の所有者による「でぶ」もあったので、頻繁に参加しなくてはいけなかった。私は主人が都合がつかないときにだけ参加する。毎度ではないせいもあってか、たまに参加するのも楽しかった。一番好きなのは、地域で管理している山があり、そこの草や低木を刈る作業。子供のころも林業のお手伝いをしていたこともあり、山の中は面白く感じる。チェーンソーを持ってくる男の人たちは誇らしげに(?)低木を切り倒す。道具を持たないもの達(私も)は草や低木を集め回収しやすいように集める。一緒に何かしらの作業を行うと連帯感も生まれる。太古の人間も、きっとこうして作業していたんだろうな~、などと想像したりする。

今でも「でぶ」の語源やどうゆう漢字を書くのか知らない。「部活に出る」の「出部」なのかもしれないが、「でぶ」でいいような気もする。かわいいし(笑)

高校生のころ、村上龍氏の小説「69」を読んで「方言っていいな~」と思っていた。それが、今やどっぷり方言の世界に漬かっている。でも、やっぱりちょっとだけネイティブになり切れない自分がいるのも事実。方言を使う自分がわざとらしく感じるから。だけど、北海道に帰省した時にはすっかり訛っていると言われる。海外生活が長くなると、アイデンティティーが喪失される感覚になるとも聞くが、私も同じ日本語とはいえ軽く喪失気味なのかもしれない。同一人物でも、話す言葉が変われば性格も変わるとも聞くし(日本語しか話せないので真相はわからないけど)

主人が「でぶ」出て、結果、言葉って大切だな~と感じる朝でした。


余談だけど、アイヌ語も勉強したいな。

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