セルフブランディング

人生

ポットキャストの「超相対性理論」が好きでよく聞くのだけど、内容が濃いので同じのを何度も繰り返し聞いている。いまだ去年のものをループして聞いている(笑)

セルフブランディングがテーマの会。もう4・5回聞いている。
以前も書いたが、「ブランディングの前にマーケティングなんだけどな~」の一言がいまだ忘れられない。どうも自分にひっかかっているのだろう。
市場価値を高めるために自分を曲げても、評価されるような記号化をすべきか?
喰っていくためにはある程度それも必要で、需要と供給の合わさるところは最低限持っておかないといけないのだろうけど、一山あてに行くために自分をマーケット側に合わせに行くのは、後々つらくなる。やりたいこともできずに、違う山の上で逃れられなくなるのでは?との問い。

動機が外発的か内発的か。
内発的、つまりやりたいことをはじめたとして、それを周囲にわかりやすくするためにシンプル化して記号化し人に認知してもらいやすくすると、本当にしたかったこととのズレを生じる。
記号化することで純粋想起の強みが生まれチャンスも広がるが、逆にマンネリ化しやすくフレームに固められ自由にふるまえなくなる。新しい事への挑戦もしにくくなる。
それを壊してしまう覚悟が必要。


今までになかった言葉や概念を使うと認知もされずらくモヤってくる(笑)深堀もしずらい。概念が大きすぎると、本当にしたかったこととのズレも大きくなってしまう。しかし、大きいがゆえに行動しながら考えることもできる。

結局、マーケットインのネーミングファーストでいいのか?
未熟のうちに、ビックマウスで市場の期待を集めるのも大切だけれど、いずれその差分を整える必要がある。命取りになりかねない。しかしそこに内発的動機がふくまれているのなら、差分を縮めることもできるのではないか?


ダウンロード型(与えられる側)の人と、アップロード型(能動的に作り出す側)の人がいる。
今はアップロード型人が増えてきている。能力の違いというより、人それぞれアップロードの分野が違っている。

時代や世間とのズレが多いと生活がつらくなる。なので最低限までは市場に合わせて、できるようになってから内発的な動機に移るのが理想的。だけど、この切り替えがむずかしい。
はじめから内発的動機ありきで戦略として市場価値をとりに行く。
切り替えが難しいのはリスクがわからないから。そもそも、すべてがリスクという視点。
現代人は自分は、自分の仕事は何なのか?を問うようになった。
自分と違うフレームの外の人にアドバイスをもらうのがいいかも。
葛飾北斎は、自分を壊すため幾度も名前を変えて住むところを変えた。

そもそも承認欲求は外発的動機にあたる。承認欲求を動機にすると危険。

ニーズがあるかないかで人の価値をはかるのは危険。
求められる人は「えらい」ということになる。いや、なっている。

センスメイキング(腑に落ちる)が内発的動機につながる。内省しなきゃと常々思いながら雑事に紛れている。以前から自分は自分のことがわからないのだけど。
フローと俯瞰の行ったり来たりして循環させる。
肩書を言葉に⇒突き詰める⇒陳腐になる⇒壊す⇒探す⇒肩書を言葉に

このブログも役に立っている。
今回のブログの内容は、「超相対性理論」の内容をわたしなりに咀嚼したもの。
今の自分は俯瞰の時期なのだと実感した。

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